河内章
河内章
ゲーテアーヌムの天使像
ゲーテアーヌムの天使像

個人よりは共同体を重要視する日本のしきたりが未だに連綿と続いている。江戸時代中国より儒教思想が入ってきて、日本中でその思想が学ばれた。明治以来の西洋文化も性急に学んだがもっぱらそれは理科系の科学技術に限られ、個人の尊重と

ヒューマニズムの尊重

は二次的なものとされ

現実を訂正変更する科学が尊ばれた。シュタイナーの思想も誤解されたのではないだろうか?我々日本人もヨーロッパ近代の前衛的芸術家は, 同じ人間の血が流れているものの主義主張として世界では理解されており, 決して国家の敵ではなかったと知るべきだろう。彼らの作品は今ヨーロッパとアメリカのみならず日本の著明な美術館の壁面を飾っている。私が思うには前衛と言われる日本の画家でも国家主義やファシズムの様な過去の亡霊にとらわれている。国家を絶対視したのが, 帝国主義であり国家のためには犠牲者になることが平然と求められた第二次世界大戦にたいする大した反省もなく惰性で現代に至っている。私の主張は国家の相対化である。これがポストモダンの旗印になるだろう。貧困は人間から多くの可能性を奪い, 人間の精神を乏しく小さいものに, あるいは惨めなものに, 陥れる。ファシズムにおいては富者と貧者の格差は知的な闇に乗じて拡大し, 両者の位置は固定され何百年もの生気のない, 創造のない, 繰り返しの文化が連綿として続く。富者は自己の立場を貧者達から守る必要があり保守の牙城を築く。そして「成熟した文化」という。日本文化はこのような富者達の権勢欲によって創り上げられたものであり権力とは無縁の人々による価値の転換あるいは革命は且って存在したことはない。このような国にあっては, 成熟と老化はあっても創造はない。新しい思想の生まれる余地がない。閉塞し閉ざされた社会である。それでどうして真に創造的な芸術が生まれうるだろうか?